いつものようにAudibleを聞きながら調理していた。
今日はこれだった。
この小説、ありふれた日常の情景が
頭の中で「抒情的:」」に鳴り響いている様子を描いているような
今までに読んだことのない雰囲気のものだった。
こんな内容を映画にするなんて、いったいどうやって作り上げたのだろうと
観たことがないけれど、それだけで感心してしまう。
まだ序盤なんだけれど
その中で「『正しい』と言うことには気をつけなければならない」
というようなことが出てきた。
最近別の本でこういうような内容を読んだことがあった。
「正しい」の反対は「正しくない」。
つまり、こちらのやり方と違う側の人間は「正しくない」ので、
それを正してやらなければならない。
という考え方が我々に刷り込まれていて(教育や宗教によって)
それが分断を生む原因になっているというのだ(ということだったはず)。
「正しい」っていうのは、おおかた支配者が決めたことであって、
そういう現象は今起こっている戦争にも
どこかの国の選挙戦にも表れている。
そして、それを見ている我々の頭の中にも
この「正しい」というサングラスがあって、
「正しい」とか「正しくない」とかいう判断を下している。
それを解消するには「自分の中に何が息づいているのか」とか
「相手の本当のニーズは何なのか」とかいうことを探ることが大切だというようなことが書いてあったんだが、こんな表現しかできない私はまだ消化不良なんだろう。
ただ、こんな私にも「相手の本当のニーズ」は今や
「相手を支配すること」ということかもしれないと
感じ取ることぐらいはできている気がする。
前掲書籍の言いたいこととは異なるのだろうが。