SHISAKU のきろく

あたまからわきだしてあふれたものたち(記事にはアフィリエイトが含まれることがあります)

共鳴について考える

今はこんな状況だから、選挙運動といっても大量動員なんてできないんだろうけど、それでも、コンサートとかと表面的に似たような感じを抱いている向きもあるだろう。

 

その中の「似たような面」は何かと考えていて、また目が覚めてしまった。

 

政治集会で「共鳴」はあるのか?今政治家たちは「目立ちたい」、「威張りたい」、「支配したい」だけで動いているのではないだろうか?

 

そしてそこに集まった人たちは「自分の利益を実現」しようという目的だけで、その政治家についていっているのではないだろうか?

 

翻って、コンサート、劇場などには「感動」、「共鳴」があるだろうし、観客はそれを求めてその場へ向かっているはずだ。

 

「共鳴」って何だろうと思って調べていると、「量子力学的共鳴」という言葉が出てきた。物理がわからない人間には何のことなのか想像さえつかないが。

ja.wikipedia.org

要するに、私はグダグダと理解できないことを考えていたにすぎないのだが、きっとこれだけは言えるのだと思う。

 

選挙運動や政治集会では共鳴は起こらない。そこには「利害関係」と「同調圧力」のみが存在するのだ。